2011年01月23日

前田敦子 高画質画像・写真・壁紙46〜50

前田敦子46 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子47 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子48 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子49 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子50 高画質画像・写真・壁紙
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[AKB48時代]
{2010年}
1月、AKB総出演ドラマ『マジすか学園』で初めての単独主演を務める。
1月、AKB48メンバー初となるNHK大河ドラマ『龍馬伝』に、龍馬の姪の坂本春猪役で出演する。
3月25日、横浜アリーナのライブで、去年に引き続き17枚目のシングルの選抜メンバーを決める「第2回総選挙」の開催が発表された。
『AKB48総選挙公式ガイドブック』が発売され、前田は去年の「前田コール」の状況について語った。「もちろん聞こえてました…。だって同じ観客席に居ましたから…。あそこまで嫌われていたのかって…。あのコールの瞬間はすっごくショックで、孤独を感じました。会場にはメンバーもファンの皆さんもスタッフもいっぱい居て見守ってくれているのに、嫌われ者の私が一人みたいな…。本当に辛かったですし、今でも忘れられません」。
「自分が1位でいいのだろうか?という気持ちがあったか」という質問に対しては、「今でもそう思っています…。1位なんて子供の頃から取った事なんか無かったですし。AKBの選抜に入れさせて頂いたり、センターをやらせてい頂いたり、それに対する責任みたいなものは漠然と感じていたんですけど、前田コールで、もっとそういうアンチの方にも認めて頂かなくちゃいけないと思って…。私にとっても、みんなにとっても、大切なAKBに、真剣に取り組んでいますって事を伝えたかったんです。もっと努力しますって…。だからこういう結果になってもAKBを嫌いにならないで下さいって…」。

前田敦子 高画質画像・写真・壁紙41〜45

前田敦子41 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子42 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子43 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子44 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子45 高画質画像・写真・壁紙
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[AKB48時代]
{2009年}
3月、アメーバブログにて「前田敦子オフィシャルブログ」をスタートする。毎日平均7回は更新し、総合ランキングでも1位を取るなど、「ブログ女王」とも呼ばれるようになる。
4月26日、ライブ「神公演予定」にて、13枚目のシングルの選抜メンバーはファンの投票によって決めるという選抜総選挙の開催が告知される。つまり実質的なファンの人気投票が行われる事になる。「センターである事の意味が、自分の中ではっきりしたのはこのあたりからですね。引っ張られるだけじゃなくて、引っ張っていかなきゃって」
6月23日0時に投票が開始。もちろん注目点は誰がランクインするか(選抜メンバーにえらばれるか)だが、もう一点。「誰がAKBの中で一番人気があるのか」ということ。握手会や声援の大きさなど、ある程度メンバーの人気は分かるが、これほどメンバーの人気がはっきりする方法はない。これまで前田はエースとして活動してきたが、それは秋元康がそう決めたからであって、果たしてAKBのファンはどういう結論を出すのか。その点にも注目が集まった。翌日に発表された速報では、前田が1位。7月1日の中間発表でもやはり前田が1位をキープした。
7月8日、最終結果を発表するイベント「神様に誓ってガチです」が開催。開票前のミニライブ後、MCの高橋みなみに今の気持ちを聞かれ「緊張しすぎて、頭痛いです」と発言すると、会場の観客からは「えーっ」と言う声、高橋が「本当ですよ」と客席に向かって前田をフォローしたが、前田は「なんで今、『えー』って言われたのか分かんないんですけど」と発言。会場には不穏な空気が流れ、他のメンバーも戸惑いを隠せないといった表情。総選挙は、開票前から妙な緊張感に包まれていた。
そして順位の発表は進み、まだ名前の呼ばれていないメンバーは、中間で1位争いを続けていた前田と大島優子のみとなった。そして司会が2位の名前を発表しようとした時、会場の観客の一部から「前田」「前田」という前田コールが起こってしまった。それはつまり、前田敦子が2位になれという意味だった。結局、2位で名前を呼ばれたのは「大島優子」。そして前田の1位が確定した。前田はファン人気がトップである事を証明。当選挨拶では「本当にありがとうございます。私はAKB48に自分の人生を捧げて行くと決めているので、これから皆さんに恩返しできるように、みんなで力を合わせて頑張って行きたいと思います」と力強く宣言した。しかしこの「総選挙」というイベントは、前田はファンの多さに比例して、「そうでない者」いわゆるアンチと呼ばれる者達が一番多いというのが如実に現われたイベントとなった。

前田敦子 高画質画像・写真・壁紙36〜40

前田敦子36 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子37 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子38 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子40 高画質画像・写真・壁紙
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[AKB48時代]
{2008年}
1月、ドラマ『栞と紙魚子の怪奇事件簿』で、南沢奈央とのダブル主演を務める。
7月、フジテレビ系列の月9ドラマ『太陽と海の教室』に、船木真由役で出演。
この年の前半はAKBから離れている事が多かった。また、この年に出したシングルは、昔インディーズで発売したセルフカバー曲『桜の花びらたち2008』であり、運営側はなんとかCDの売上を伸ばそうと色々な特典を付けていたが、所属レコード会社からは違法性が高いと指摘され、さらに契約も解除されてしまうる。これがニュースで報道され、AKBのアンチからは悪質な商法だとして次第にバッシングなども大きくなっていった。次にリリースされたシングルは、レコード会社も決まらずダウンロード限定配信だった。この頃がAKBの低迷期と呼ばれる。「『これからどうしよう』『もうこれ以上上には行けないのかな』って思ってる時期だったような気がします。自分たちも、スタッフの方たちからよく言われるんですけど、『もうこのまま終わっちゃうんじゃないかな』って。多分それは私たちの意識が薄れてきちゃったからで」。
10月22日、『大声ダイヤモンド』をリリース。この曲では、8月に結成されたばかりのSKE48から松井珠理奈が選抜メンバーに選ばれている。しかも前田とのダブルセンターでデビューすることになった。珠理奈の存在について。「別に余裕があった訳じゃないんですけど、年齢も違うし、あまり意識はしてなかったんです。でも思った以上にファンの人からすごい言われたというか、比べられていたというか。それを知った時はちょっとビックリして、焦りましたね。私はどうしたらいいんだろう…と思って。秋元さんにもその時期、怒られた事が何度かあったんです。『このままでは松井に抜かされますよ』って言われた事もあったし。『大声ダイヤモンド』から秋元さんに毎回意識を聞かれるようになりました。『どうしますか? 前田はできますか?』ってメールで聞かれるんですよ。『できます! やりたいです!』って。それまではセンターにいるけど、でも『どうせみんな私の事なんてなんとも思ってないな』っていう気持ちでした。でもこの曲から、自分のいる場所(センター)の意味が少しずつ分かってきた気がします」
11月、同期の5人(駒谷・中西・成田・大江・戸島)が一斉にAKBから卒業。

2011年01月20日

前田敦子 高画質画像・写真・壁紙31〜35

前田敦子31 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子32 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子33 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子35 高画質画像・写真・壁紙
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[AKB48時代]
{2007年}
4月、将来の希望は女優で、映画『あしたの私のつくり方』で夢でもあった女優業の活動も開始。準主役の大抜擢だった。その年の第81回キネマ旬報新人女優賞候補にもノミネートされている。実は「すっごく嫌でした。怖くて、自信がなさ過ぎて。実際、現場に入っても『早くAKBに帰りたい』とか、そんな事ばかり言ってました」。夢の女優業だったが、あまりにもどうすればいいかのわからず、それが「嫌だ」という感情に繋がってしまった。
7月、大島優子、小野恵令奈と共に太田プロダクションに移籍。
10月、雑誌『ビッグコミックスピリッツ』で初の単独表紙を飾る。
10月16日、フジテレビ系「スワンの馬鹿!〜小遣い3万円の恋〜」にて、初の連ドラ出演。
12月、チームAとKのメンバーをシャッフルするという「ひまわり組」公演のスタート。「みんな一番自分のチームが大好きで、台風が来たみたいに荒れました。嫌だ嫌だ嫌だってみんなで泣いて。でもなんだかんだでレッスンが始まっちゃうと、すんなり(笑)」
12月、AKB48として『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。

前田敦子 高画質画像・写真・壁紙26〜30

前田敦子26 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子27 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子28 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子30 高画質画像・写真・壁紙
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[AKB48時代]
{2006年}
2月1日、インディーズではあるが『桜の花びらたち』でCDデビュー。
2月8日、初の満員御礼を達成。「初めて満員御礼になって、席が埋め尽くされた時は、すごく嬉しかったです」。
2月下旬、すぐに追加メンバー(2期生)のオーディションが開始される。「オーディションをやるよって言うのを聞いて、すごい嫌だったんですよ。ここまで頑張ってきたのに、なんで増えるんだろうって。もともと増えるコンセプトだったけど、不安で、私たちの居場所が無くなるんじゃないかと思って」
2月26日、19人が合格し、新たなAKBのメンバーとなる。「『先輩たちに負けないように、頑張ります!』ってすっごい強い意志を持っている子たちだったんで、そこでみんなすごい刺激を受けたんだと思います。私も負けてられないって。最初はチームAとチームKはライバルでした」
4月15日、チームA2nd「会いたかった」公演が開始。これは前回の1stに比べ、よりメンバーのポジションに格差があるような作りになっている。それはメンバー自体に格差が出来はじめたということ。チームAのメンバーも、このセットリストが一番辛く、2nd公演の事は思い出したくないと言っている。
前田はこの公演の『渚のCHERRY』という曲で、初めてソロを担当する事になった(正確には4人のユニット曲だが、実際にはソロとバックダンサー3人であり、明確な差がある。衣装の色も違う)。これが決まった時には、「一人だけ目立つのはイヤ」「やりたくない」と言って大泣きした。それは同年代だった、峯岸みなみや平嶋夏海が自分のバックダンサーを務める事になったからで、前田が直接言われた訳ではないが、彼女たちも負けず嫌いな性格で、「2人が嫌がっている」という話が前田の耳にも届いていたからだった。
8月11日、2ndの千秋楽。そこで秋元は、メンバーにお互い思っていたことをすべて言えと命じた。あるメンバーはファンの前で「辞めようと思った」と言い、あるメンバーは「あっちゃんの後ろは嫌でした」と言う。それに対し前田も「『渚のCHERRY』はやりたくなかったです」とセンターを任される重圧を語った。メンバーはみんな号泣しながら思いの丈をぶちまけた。前田「スッキリしたというか。改めてファンの人たちにも自分たちの気持ちを分かってもらえたというか」。
この時は観客も一緒になって号泣したとも伝えられているが、ある雑誌にその公演に参加していたファンはこう書いている。「そんなはずないでしょ。もちろん自分の推しメンが泣きながら話している時はウルウルしましたけど、客はチームAの他のメンバーには興味がない訳だから、どうしてお金を払ってまで演者の愚痴を延々と聞かされなくちゃいけないのかと。ものすごく微妙なムードが劇場全体を包み込んでいましたね。いたたまれない感じっていうのかな。早く劇場の外に出たかったというのが本音ですよ」。Aのメンバーにとっては非常に辛い公演となったが、この「会いたかった」はAKBの代表曲とも言える曲が入っており、今ではメンバー間に格差があるというのはAKBでは常識なので、後に出来たチームBやSKE48チームKIIなどでも使用されているという人気のセットリストとなっている。
9月29日、チームAとチームKの組替え発表を行うと告知される(「ばら組」「ゆり組」構想)。不安はまったくなく、「新しい気持ちになろっかみたいな(笑)。また違う自分になれるかなみたいな」と非常にポジティブ。
10月、『会いたかった』でメジャーデビュー。「ビックリはしなかったです。CDを出すっていうのも、どういう事だかよく分かっていなかったので」
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