前田敦子26 高画質画像・写真・壁紙

前田敦子27 高画質画像・写真・壁紙

前田敦子28 高画質画像・写真・壁紙

前田敦子29 高画質画像・写真・壁紙

前田敦子30 高画質画像・写真・壁紙

[AKB48時代]
{2006年}
2月1日、インディーズではあるが『桜の花びらたち』でCDデビュー。
2月8日、初の満員御礼を達成。「初めて満員御礼になって、席が埋め尽くされた時は、すごく嬉しかったです」。
2月下旬、すぐに追加メンバー(2期生)のオーディションが開始される。「オーディションをやるよって言うのを聞いて、すごい嫌だったんですよ。ここまで頑張ってきたのに、なんで増えるんだろうって。もともと増えるコンセプトだったけど、不安で、私たちの居場所が無くなるんじゃないかと思って」
2月26日、19人が合格し、新たなAKBのメンバーとなる。「『先輩たちに負けないように、頑張ります!』ってすっごい強い意志を持っている子たちだったんで、そこでみんなすごい刺激を受けたんだと思います。私も負けてられないって。最初はチームAとチームKはライバルでした」
4月15日、チームA2nd「会いたかった」公演が開始。これは前回の1stに比べ、よりメンバーのポジションに格差があるような作りになっている。それはメンバー自体に格差が出来はじめたということ。チームAのメンバーも、このセットリストが一番辛く、2nd公演の事は思い出したくないと言っている。
前田はこの公演の『渚のCHERRY』という曲で、初めてソロを担当する事になった(正確には4人のユニット曲だが、実際にはソロとバックダンサー3人であり、明確な差がある。衣装の色も違う)。これが決まった時には、「一人だけ目立つのはイヤ」「やりたくない」と言って大泣きした。それは同年代だった、峯岸みなみや平嶋夏海が自分のバックダンサーを務める事になったからで、前田が直接言われた訳ではないが、彼女たちも負けず嫌いな性格で、「2人が嫌がっている」という話が前田の耳にも届いていたからだった。
8月11日、2ndの千秋楽。そこで秋元は、メンバーにお互い思っていたことをすべて言えと命じた。あるメンバーはファンの前で「辞めようと思った」と言い、あるメンバーは「あっちゃんの後ろは嫌でした」と言う。それに対し前田も「『渚のCHERRY』はやりたくなかったです」とセンターを任される重圧を語った。メンバーはみんな号泣しながら思いの丈をぶちまけた。前田「スッキリしたというか。改めてファンの人たちにも自分たちの気持ちを分かってもらえたというか」。
この時は観客も一緒になって号泣したとも伝えられているが、ある雑誌にその公演に参加していたファンはこう書いている。「そんなはずないでしょ。もちろん自分の推しメンが泣きながら話している時はウルウルしましたけど、客はチームAの他のメンバーには興味がない訳だから、どうしてお金を払ってまで演者の愚痴を延々と聞かされなくちゃいけないのかと。ものすごく微妙なムードが劇場全体を包み込んでいましたね。いたたまれない感じっていうのかな。早く劇場の外に出たかったというのが本音ですよ」。Aのメンバーにとっては非常に辛い公演となったが、この「会いたかった」はAKBの代表曲とも言える曲が入っており、今ではメンバー間に格差があるというのはAKBでは常識なので、後に出来たチームBやSKE48チームKIIなどでも使用されているという人気のセットリストとなっている。
9月29日、チームAとチームKの組替え発表を行うと告知される(「ばら組」「ゆり組」構想)。不安はまったくなく、「新しい気持ちになろっかみたいな(笑)。また違う自分になれるかなみたいな」と非常にポジティブ。
10月、『会いたかった』でメジャーデビュー。「ビックリはしなかったです。CDを出すっていうのも、どういう事だかよく分かっていなかったので」
posted by 前田敦子 at 17:40
|
Comment(0)
|
前田敦子 高画質画像・写真・壁紙1〜50
|

|