2011年01月28日

前田敦子 高画質画像・写真・壁紙296〜300

前田敦子296 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子297 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子298 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子299 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子300 高画質画像・写真・壁紙
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[AKB48時代]
{2006年}
2月1日、インディーズではあるが『桜の花びらたち』でCDデビュー。
2月8日、初の満員御礼を達成。「初めて満員御礼になって、席が埋め尽くされた時は、すごく嬉しかったです」。
2月下旬、すぐに追加メンバー(2期生)のオーディションが開始される。「オーディションをやるよって言うのを聞いて、すごい嫌だったんですよ。ここまで頑張ってきたのに、なんで増えるんだろうって。もともと増えるコンセプトだったけど、不安で、私たちの居場所が無くなるんじゃないかと思って」
2月26日、19人が合格し、新たなAKBのメンバーとなる。「『先輩たちに負けないように、頑張ります!』ってすっごい強い意志を持っている子たちだったんで、そこでみんなすごい刺激を受けたんだと思います。私も負けてられないって。最初はチームAとチームKはライバルでした」
4月15日、チームA2nd「会いたかった」公演が開始。これは前回の1stに比べ、よりメンバーのポジションに格差があるような作りになっている。それはメンバー自体に格差が出来はじめたということ。チームAのメンバーも、このセットリストが一番辛く、2nd公演の事は思い出したくないと言っている。
前田はこの公演の『渚のCHERRY』という曲で、初めてソロを担当する事になった(正確には4人のユニット曲だが、実際にはソロとバックダンサー3人であり、明確な差がある。衣装の色も違う)。これが決まった時には、「一人だけ目立つのはイヤ」「やりたくない」と言って大泣きした。それは同年代だった、峯岸みなみや平嶋夏海が自分のバックダンサーを務める事になったからで、前田が直接言われた訳ではないが、彼女たちも負けず嫌いな性格で、「2人が嫌がっている」という話が前田の耳にも届いていたからだった。
8月11日、2ndの千秋楽。そこで秋元は、メンバーにお互い思っていたことをすべて言えと命じた。あるメンバーはファンの前で「辞めようと思った」と言い、あるメンバーは「あっちゃんの後ろは嫌でした」と言う。それに対し前田も「『渚のCHERRY』はやりたくなかったです」とセンターを任される重圧を語った。メンバーはみんな号泣しながら思いの丈をぶちまけた。前田「スッキリしたというか。改めてファンの人たちにも自分たちの気持ちを分かってもらえたというか」。
この時は観客も一緒になって号泣したとも伝えられているが、ある雑誌にその公演に参加していたファンはこう書いている。「そんなはずないでしょ。もちろん自分の推しメンが泣きながら話している時はウルウルしましたけど、客はチームAの他のメンバーには興味がない訳だから、どうしてお金を払ってまで演者の愚痴を延々と聞かされなくちゃいけないのかと。ものすごく微妙なムードが劇場全体を包み込んでいましたね。いたたまれない感じっていうのかな。早く劇場の外に出たかったというのが本音ですよ」。Aのメンバーにとっては非常に辛い公演となったが、この「会いたかった」はAKBの代表曲とも言える曲が入っており、今ではメンバー間に格差があるというのはAKBでは常識なので、後に出来たチームBやSKE48チームKIIなどでも使用されているという人気のセットリストとなっている。
9月29日、チームAとチームKの組替え発表を行うと告知される(「ばら組」「ゆり組」構想)。不安はまったくなく、「新しい気持ちになろっかみたいな(笑)。また違う自分になれるかなみたいな」と非常にポジティブ。
10月、『会いたかった』でメジャーデビュー。「ビックリはしなかったです。CDを出すっていうのも、どういう事だかよく分かっていなかったので」

前田敦子 高画質画像・写真・壁紙291〜295

前田敦子291 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子292 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子293 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子294 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子295 高画質画像・写真・壁紙
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[幼少期]
幼稚園の時に『ポンキッキ』や『天才テレビくん』などのテレビを見ていて、同世代の子供たちが出ていると「楽しそうだな」とは思った。うらやましいとも思ったが、「自分も出たい」とかそういう事を言えるような子供ではなかった。
中学生の頃、もともと目立つ事が苦手で、授業中先生に指される事さえ怖かったという、どこにでもいる内気な普通の女の子。それがいつしか「女優になりたい」という夢を持つようになった。

[デビュー前]
{2005年}
母と2人でいた時に「秋葉原48(AKB48)」というアイドルグループのオーディションのチラシを見つける。かなり怪しげなチラシだったが、懐かしのアイドル特集などで「おニャン子クラブ」は知っており、そのプロデューサーだった秋元康が載っていたので興味を持った。AKBの“それぞれの夢へと巣立っていく場所”というコンセプトに惹かれ、リアルなレッスン場のつもりで、このグループに入ってみたいと思ったが、母親にも「オーディションを受けたい」と言える子でもなかった。そんな娘の気持ちを察してくれたらしく、母が「やってみれば?」と言ってくれた。当然これが人生で初めて受けたオーディションで、秋葉原に来たのはAKBになってから。テレビで知っていた程度の知識しかなく、「行きたいとも思っていなかった(笑)」とか。
10月、1次、2次と合格し、最終審査日。当日の印象は、年上の人(小嶋陽菜のことらしい)や可愛い人がいて、すごい自分が場違いな感じがした。すでに女の子同士のグループなども出来ていたが、自分は誰とも喋らなかった。まずダンス審査で全然踊れず、それを引きずってしまい歌唱審査もダメだった。絶対に落ちたと思ったら、自分の番号が呼ばれた。母親が喜んでいる姿を見て、ほっとした。
11月、デビューに向けてレッスンが開始。振付師は、モーニング娘などの振付も担当した夏まゆみ。かなりのスパルタで、1回無断欠席した子はクビにされ、レッスンの厳しさに耐えられず何人かは自主的に辞退した。1期生は24人が合格したが、デビューまで残ったのは20人だった。前田が耐えられたのは、『桜の花びらたち』の立ち位置を決めるとき、この曲は5人しかマイクがもらえないが、自分が貰えたからだった。嬉しさと、他人には負けたくないという事でがんばれた。同じく『スカート、ひらり』というユニット曲のメンバーにも選ばれた。最初に前田を推したのは秋元康ではなく、夏まゆみだった。
12月8日、AKB48劇場のグランドオープンで劇場公演デビュー。初日は70人近くお客さんがいたが、これには関係者も含まれており実際は7人。2日目、3日目、進んでいくと、お客さんの数は数人という日もあった(メンバーよりも少ない)。不安から、泣いたり、辞めたがるメンバーもいた。季節は冬だったが、寒空の下、メンバー自ら何度かビラ配りなどもし、客を増やそうと努力した。「なんで人気が出ないんだろう。これ以上人気が出なかったらみんなでやめちゃおうって話をしていました」。
当初は夏まゆみには評価されていたが、秋元からはそんなに評価は高くなかった。オーディションの時はほとんど眼中になかったと聞かされた。しかしその後、秋元にもそのスター性を見込まれ、AKB48の中心メンバーとして活動していく事になる。秋元はこう答えている。「AKB48は人数が多いため、顔と名前がわからないという声が多かったので、誰かをフィーチャーする必要がありました。前田敦子にはスター性があり、 AKB48を売り出してゆく中心においたのは事実です」

前田敦子 高画質画像・写真・壁紙286〜290

前田敦子286 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子287 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子288 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子289 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子290 高画質画像・写真・壁紙
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[人物]
キャッチフレーズは無し。無い理由は「思い浮かばなかった」から。それから5年間経ってしまった。と最近は答えているが、本当は恥ずかしかったから。考えようとも思わなかった。
ニックネームは「あっちゃん」。これはAKBに入ってから付けられたものではなく、子供の頃からのあだ名。後輩からは「前田さん」と呼ばれる事が多い。たまに番組では「マエアツ」が使われる事もある。
AKB48&チームAのエース。これまでにすべてのシングル曲で選抜メンバーに選ばれており、ほとんどの曲でセンターポジションを務めることから、“絶対的エース”とも呼ばれる。
特にキャラクターはない。よく「何を考えているのか分からない」と言われる。本人によると、そういう時は本当に「何も考えていない」。MCなども特に何も考えずに出る。もっと積極的になろうと考えた事もあったが、「あっちゃんはそんな感じなので、それでいいよ」とメンバーやファンは思っており、前田も“これ”と言ったキャラクターは作っていない。「それを許してくれるファンの人と、メンバーには感謝してますね」
ダンスはあまり得意ではないらしく、「省エネダンス」と呼ばれたり、「松井珠理奈に負けてるよ」とか言われてしまっているとか。
よく「昔っぽい顔」と言われるという。
1cm×1cmの紙で折り鶴を作れる。本人曰く、「『桜の花びらたち』の紙吹雪の紙を、公演終了後、折ってみたらできたから」とのこと。
スポーツ全般が苦手。いわゆる運動音痴である。

前田敦子 高画質画像・写真・壁紙281〜285

前田敦子281 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子282 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子283 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子284 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子285 高画質画像・写真・壁紙
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[来歴]
{2009年}
3月、アメーバブログにて「前田敦子オフィシャルブログ」をスタート。
6月から7月にかけて実施された『AKB48 13thシングル選抜総選挙「神様に誓ってガチです」』では1位で、メディア選抜入りを果たす。トップ当選を受けて、「自分の人生をAKB48に捧げて行く」と語った。

{2010年}
1月 - 3月、テレビ東京系列ドラマ『マジすか学園』に同名役で初単独主演。
3月7日 - NHK大河ドラマ『龍馬伝』に坂本春猪役で出演。
5月から6月にかけて実施された『AKB48 17thシングル選抜総選挙「母さんに誓って、ガチです」』では2位で、メディア選抜入りを果たす。
10月 - 12月、日本テレビ系ドラマ『Q10』にロボットQ10役で出演。
9月21日に開催された『AKB48 19thシングル選抜じゃんけん大会』では15位で、初めてメディア選抜から漏れる結果となる。

{2011年}
1月、2011年の「警視庁110番」イメージキャラクターに就任。
1月26日、第22回日本ジュエリーベストドレッサー賞10代部門を受賞した。
6月公開予定の映画『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』の川島みなみ役で映画初主演となる。

前田敦子 高画質画像・写真・壁紙276〜280

前田敦子276 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子277 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子279 高画質画像・写真・壁紙
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前田敦子280 高画質画像・写真・壁紙
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[プロフィール]
前田 敦子(まえだ あつこ)
生年月日 1991年7月10日
出生地 日本・千葉県市川市
国籍 日本
身長 161cm
血液型 A型
職業 アイドル、歌手、女優
ジャンル バラエティ・テレビドラマ・映画
活動期間 2005年12月8日〜

[来歴]
{2005年}
10月30日、『AKB48 オープニングメンバーオーディション』に合格(応募総数7,924名、最終合格者24名)。オーディションでは自身の憧れの人でもある柴咲コウの「Glitter」を披露する。
12月8日、オープニングメンバー候補生のうち20名として、AKB48劇場グランドオープンの舞台に立つ(旧チームAに所属)。

{2007年}
4月、映画『あしたの私のつくり方』で女優デビュー。なお、この映画では役作りのために、肩まで伸ばしていた髪を短くした。
7月、同じAKB48メンバーである大島優子、小野恵令奈とともに太田プロダクションに移籍。
10月、フジテレビ系列『スワンの馬鹿! ?こづかい3万円の恋?』(関西テレビ制作)でテレビドラマ初出演。
12月、AKB48として『第58回NHK紅白歌合戦』に初出場。
第81回キネマ旬報新人女優賞候補にノミネートされる。

{2008年}
1月、日本テレビ系列ドラマ『栞と紙魚子の怪奇事件簿』でドラマ主演(南沢奈央とのダブル主演)。
7月 - 9月、フジテレビ系列ドラマ『太陽と海の教室』に出演。
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